『起観生信〜『浄土論』『論註』による、浄土往生の仏道〜』 

 

親鸞聖人のお名前は、インドの天親菩薩(四〇〇 四八〇)と中国の曇鸞大師(四七六 五四二)からいただいておられます。それはこのお二人の著作を通して、阿弥陀如来の本願力廻向の行信の救いに開眼されたからでした。それが今回のテーマである、起観(行)生信(信)です。

 

天親菩薩の『浄土論』は、菩提流支(? 五二七)の漢訳によれば、五言九十六句の偈頌と、それを解説された長行との二部構成になっています。偈頌の初めには

世尊我一心帰命尽十方无碍光如来 願生安楽国

(世尊、われ一心に尽十方无碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず)

と帰敬の信を表明し、次いで国土十七種荘厳・仏八種荘厳・菩薩四種荘厳の三厳二十九種にわたる願心荘厳の浄土を嘆じ、最後に一切衆生とともに弥陀の浄土に往生しようという決意を表されています。第二部の長行には、最初に願生偈の大意を述べ、

論曰。此願偈明何義。示現観彼安楽世界、見阿弥陀仏、願生彼国故。

(論じていはく、この願偈はなんの義をか明かす。かの安楽世界を観じて阿弥陀仏を見たてまつることを示現す。かの国に生ぜんと願ずるがゆゑなり。)

と観見願生の意を明かしています。次いでどのようにして弥陀の浄土に往生するのかを問い、

云何観、云何生信心。若善男子善女人、修五念門行成就、畢竟得生安楽国土、見彼阿弥陀仏。

(いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子・善女人、五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生じて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得。)

と、五念門行によって往生することを述べています。

 

ここで、「どのように観察し(起観)、どのように信心を生ずるのか(生信)」と問いながら、

それについて直接答えずに五念門行による往生を説いていることが不思議です。五念門とは、礼拝門(身業)・讃嘆門(口業)・作願門(意業)・観察門(智業)・廻向門(方便智業)の五で、その前四門が自利で、第五の廻向門が利他です。つまり五念門行とは、作願(止)・観察(観)を中心とした止観行であり、菩薩の自利利他の行を顕しています。

 

ここに「云何観」の問いに対しては、観察を中心とした五念門行で答えています。では「云何生信心」に対しては、どのように表しているのでしょうか。これはおそらく第五の廻向門に、

云何廻向。不捨一切苦悩衆生、心常作願、廻向為首、得成就大悲心故。

(いかんが廻向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、廻向を首として大悲心を成就することを得んがためのゆゑなり。)

と説く、「大悲心」を指していると思われます。大悲心とは、一切衆生を救いたいという菩提心であり、それを「首はじめ とする」とは、五念門行は最初の礼拝門から一切衆生とともに浄土に往生しようという、大悲心の表現であることを意味しています。それが帰敬偈に説かれる願生心であり、また五念門行が成就して得られる「妙楽勝真心」です。つまり『浄土論』には、三大阿僧祇劫という長い間かかって修行する五念門行(起観)と、それによって成就される菩薩の大菩提心(生信)を明かしていると窺うことができます。

 

この『浄土論』の深意を、最初の帰敬偈によって統摂して見たのが、曇鸞大師でした。つまり五念門は「帰命尽十方無碍光如来」の名号におさまり、その名号の義いわれ にかなって如実に讃嘆する一心の信心において、破闇満願の徳が顕れることを明かすのが、『論註』下 讃嘆門の釈です。ここに五念門行を、観察門中心から讃嘆門中心へと組み替え、凡夫における往生の心行を明らかにされたのです。

 

さらに『論註』上 八番問答において、この破闇満願の具体相を下々品の悪人の往生におい

て示し、一生造悪の凡夫が本願を信ずる「信仏因縁」によって往生することを明かし、それこそが『浄土論』に説く「易行道」であると顕すのです。さらに最後の覈本釈において、衆生の五念門成就は、阿弥陀如来の第十八願・第十一願・第二十二願の三願によって成立することを顕しています。

 

親鸞聖人は、これらの釈に依りながら、五念門行は凡夫が修する行ではなく、阿弥陀如来が法蔵菩薩であったときになされた行業であり、その徳を「南無阿弥陀仏」の名号に成就して衆生に与えておられるという、法蔵所修の五念門の義を明らかにされました。つまり名号には法蔵所修の五念門の自利利他の仏徳が完成しているから、名号を聞信する一心において仏因円満し、やがて往生即成仏の仏果を開くのです。それこそ、すべての苦悩の有情を救いたいという、如来の大悲心の顕現でした。『正像末和讃』にはこれを

如来の作願をたづぬれば 

苦悩の有情をすてずして

廻向を首としたまひて

大悲心をば成就せり

と述べられています。

 

ところで五念門が法蔵所修であれば、観察門はどのような内容となるでしょうか。観察門の内容は、「観彼世界相 勝過三界道」の国土の清浄功徳と、「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足功徳大宝海」の仏の不虚作住持功徳の二つに収まります。その仏徳を『高僧和讃』天親讃には

本願力にあひぬればむなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし

と讃えられています。

ここに観とは値遇の意であり、遇いがたくしてあっている遇法の慶び表しています。つまり、わたしが浄土を観察し阿弥陀仏を見るという仏道から、阿弥陀如来が見まもり導いてくださっている仏道へと、主体の転換が促されます。これが他力信心の内容です。「本願に出遇ったわたし」が現れるのです。

 

こうして、五念門行は本願名号におさまり、大行である念仏一行へと展開し、如来の大悲心は「我一心」の信心として現れ、これが往生成仏の真因であると顕すのが、親鸞聖人の『教行証文類』です。

 

以上の内容を図示すれば、次のようになります。

 

  (おかもと ほうじ) 真宗学寮教授・本願寺派布教使)